横 浜 市 中 区 伊 勢 佐 木 町 7 丁 目 に つ い て !

(別名:一 六 地 蔵 通 り )

 

伊勢佐木町(いせざきちょう)は、横浜市中区伊勢佐木町1丁目-7丁目からなり、

北東-南西方向に約1.4km続いており、横浜市民の間では「ザキ」の愛称で親しまれております。

現在伊勢佐木町1丁目・2丁目は「イセザキモール」と呼ばれ、3-7丁目は「伊勢佐木町商店街」と

呼ばれております。

 

元々は入江を埋めた吉田新田の北の一つ目の沼地。沼地は寛文11年(1671年)までには埋め立てられ、

耕地となっておりました。

明治2年(1869年)には当地付近に港崎遊廓が移転し、吉原町が起立、明治5年(1872年)には、

その遊廓も高島町に再移転し、区画を整理して明治7年(1874年)5月20日に伊勢佐木町が起立しました。

現在の読み方が「いせざきちょう」ですが、当初は「いせさぎちょう」と呼ばれていたそうです。

 

明治時代から商店などが集中した為、現在でも明治創業の老舗が数多く残っております。

明治6年(1873年)に興行場が開かれ、大相撲も催しされる興行街となり、明治15年(1882年)に

遊廓が高島町から真金町に再々移転すると、関内から遊廓への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に

繁華街へ発展し、明治44年(1911年)には、ドイツ人貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館で

あるオデオン座を開館、大正初期までには東京・浅草や大阪の千日前と並ぶ大繁華街となり、

「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれ、人気のデートスポットにもなっておりました。

その後、大正12年(1923年)9月1日11時58分関東大震災、昭和20年(1945年)5月29日横浜大空襲を受け、

死者8千~1万人とも言われた無差別攻撃を受けましたが、昭和30年(1955年)頃から復興が本格的に

行われ、昭和53年(1978年)からは、恒久的なかたちでの「歩行者天国」が実施され、青江美奈さんの

ヒット曲「伊勢佐木町ブルース」を始め、フォーク・デュオ「ゆず」がデビュー前にストリートライブを

していた街として有名です。

 

伊勢佐木町7丁目のお地蔵さまは数々の困難を市民と共に受難し、震災戦火の供養もこめて霊験あらたかと

信仰せられ、縁日が毎月一と六のつく日に行われることから別名「一六地蔵尊」、商店街を「一六地蔵通り」と言う名称で地元の方々に親しまれており、現在は6月~8月の1日・6日・16日・26日には縁日が行われて

おり、12月には「餅つき大会」、3月に「桜まつり」、4月には「花まつり」、7月には「七夕飾り」、    8月には「風鈴飾り」と地元の方々、幼稚園・保育園の園児にご協力頂いて、盛大に飾りつ、催しを

行っております。

また地蔵尊櫓及び商店街の街路灯には季節感を味わえる飾りつけを行い、お買い物のお客様にも楽しんで

頂いております。

 

伊勢佐木町7丁目の歩行者用道路には、全部で16カ所(8種類)にタイルに模様が入っております。

こちらも探しながらぶらぶらと7丁目を散策されては如何でしょうか?

また、TABI CHANNELの「いせぶら」の楽しみ方とお勧めの観光スポット10選に

一六子育て地蔵尊がはいっております。  < https://tabichannel.com/article/1070/isezaki 

ミナトヨコハマ伝説の繁華街・伊勢佐木町!「いせぶら」の楽しみ方とおすすめ観光スポット10選 に掲載されております。

 

伊勢佐木町7丁目は、2015年10月には、「一般社団法人伊勢佐木町7丁目町内会」となり、住民の皆様と

商店街の発展の為に、色々なイベント等を通じて交流を深め、更なる進化をしております!

 

 

伊勢佐木町7丁目商店街歩道のタイル






七夕飾り



風鈴飾り


四季の風景




顔出しパネル